大坂真理子
コピーライター・年齢不使用(!?)
ある仕事を通じて主宰者と知り合い、現在に至る。
歌舞伎とサッカーしか楽しみがない人生。それでも幸せ。
水瓶座・O型。
二十四幕目 第一場 「生きている小平次」


6月は久しぶりに歌舞伎座・夜の部を観てきました。
演目は「義経千本桜・すし屋」「身替座禅」「生きている小平次」「三人形」。

降りそうで降らないどんよりとした一日の終わり。決して暑くはないのだけれど、湿度が高くなんとなく不快な夜…そんな6月のある夜の、そんなシチュエーションにぴったりな演目、それが「生きている小平次」でした。

ひと言で言うとホラーです。二人の男/太九郎と小平次がおちかという女を取り合い、言い争いの末に太九郎が小平次を殺害。しかし死んだと思っていた小平次は生きていて、逃亡をはかろうとする二人のもとに現れる。恐怖におののくおちかは太九郎をけしかけ再び小平次を殺害させる。が、しかし、小平次は亡霊となって逃げる男女を追いかけ回す。といったストーリーです。

幕があがると舞台は夜明け前、まだ暗闇に包まれている沼の場面です。この場面が美しすぎる。そして、おそろしく恐い…。見ていてググっと引き込まれるというより、舞台にひっぱられていくような美しさと不気味さ。幻想的、神秘的などという表現ではないのです。まさに美しくて不気味。人間の心の闇がこの世のものとしてと示されるとしたら、このような色ではないかと思えるような…漆黒のような蒼のような紫紺のような、例えようのない色で表現されています。そして必ず何かが起こるような予感…。

結局、この場面で太九郎は小平次を殺してしまうのですが、その間、時間の経過とともに闇が徐々に明け、夜明けへと近づいてゆく様子も、これまたひじょうに印象深く魅せてくれます。

太九郎は松本幸四郎、小平次は市川染五郎が演じていました。親子です。二人並んでいると一瞬、ビールのCMが頭をかすめますが、それはまたすぐに舞台上の現実へと引き戻されるほど、見応えのあるものでした。

二十四幕目 第二場 「COROT」

7月は西洋美術館へ。"コロー光と追憶の変奏曲"を観てきました。

今回はじめて知ったのですが、コローは舞台美術に興味があったらしいです。オペラがこの上なく好きで、役者や歌手を描いたスケッチを数多く残したと会場で説明書きがありました。そして、彼の描く風景画に、舞台美術の手法が採用されていると…。

確かに。コローの代表作「モルトフォンテーヌの想い出」、また同様の…銀灰色と言われるコロー独自の色彩で描かれた詩情に満ちた作品のほとんどに舞台の視覚性を感じます。「モルトフォンテーヌの追憶」「朝・ニンフの踊り」、その他ヴィル・ダヴレーで描かれた作品たちはまるで劇場空間のようにも見えます。手前の描かれている樹木などが幕の代わりで、その奥に舞台が存在し、人々がいて…という視覚演出らしいです。なるほど、言われてみればそうだなぁと。今回少し、これらお馴染みの作品たちの見方が変わりました。素晴らしくドラマチックな舞台芸術の数々を堪能したような気分でした。

コローは自身でも風景画家と自負していたようですが、今回は人物画が素晴らしかった。

実はコロー展に行くための予習をしていて、コローはベルト・モリゾという女流画家の師でもあったことを思い出しました。そうだそうだ、とモリゾの画集をめくり人物画を見ていたら、一瞬を切り取った表情を豊かに魅せる描き方などは、まさに、コローがお手本だったのか…と思わせる部分もありました。

コローは裕福な家に生まれ育ったおぼっちゃま画家です。
ずっと父親に画家になることを反対されていて家業の手伝いをしていたほどの良い子ちゃんです。ようやく26歳になったときに画家になることを許され、まずはイタリアへと旅立つわけですが、このときもたっぷりとお金を持たされたのだろうなぁと想像できます。旅立つ前に両親への置き土産として描いた自画像を見ると、坊ちゃん然とした表情が印象的ですから。(残念ながら今回は来ていません)

そんな彼だから、苦労や汚れなどとは無縁と思っていたのですが、そうでもないなぁというのがコロー展全体を通してなんとなくわかりました。画家としては、けっこう迷走していたのかもしれません。
イタリアで描きはじめた作品、そしてフランスへ戻って、またイタリアへ行って、ヴィル・ダヴレーに住んでからの作品。あちこちで迷い、あちこちで探し求め、いつも何かを試していたようにも感じました。

人物画の多くは晩年に書いていますが、どれもとてもシンプルで、モデルの地位や権力を表現しているものは一つもなく、ただただ純粋に人物の一瞬を描きとっています。

ここで勝手な解釈をさせてもらえば、モリゾはコローを参考にしたかもしれないが、コローはフェルメールを参考にしたかもしれないと思うところも…。そう感じぜずにいれなかった作品、それが今回の注目作品である「真珠の女」や「青い服の婦人」です。「真珠の女」はコローのモナリザとも言われ、ダヴィンチのモナリザがよく持ち出され比較されているようですが、私はなぜかフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」が思い出されたし、コローが姪のマリー・ルイーズ・ロール・セヌゴンを描いた作品は、なぜかフェルメールの「少女」が思い出されました。「青い服の婦人」に至っては構図、人物のポーズ、そして青い絵の具。
これらからフェルメールを彷彿とさせる…といういう解釈は以前からあったようですが。

単なる妄想かもしれないけれど、絵画などとは感性でふれあうのが大切。それはそれで自分なりに楽しみ、また文献などを参考にさらなる解釈をしていけば良いのではないかな、と思ってます。

ところで、今年の秋はたいへんなことに…。
8月2日からフェルメールが六本木にきています。しかも7作品も。
また、8月31日からはジョン・エヴァレット・ミレイがきます。日本初の本格回顧展です。(落ち葉拾いなどのミレーではありません)

いやぁ混むでしょうね。恐ろしいなぁ。とくにフェルメール…。
だってみんな「私の、私のフェルメール!!」オーラを出すから、なんだか恐いんですよね、館内(苦笑)。場所の取り合いですし。

とりあえず、平日狙いで行ってきますけど…。


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